高校時代は栃木大会を制して関東大会場に貢献するなど、県下で知られた存在に。そんな輝かしい実績の向こうで、人知れず暗黒の日々も体験。最終的に指揮官のひと言に救われたそうです。そして人の子の親となり、学童野球の指揮官になると、絶望的な敗北が続くなかで、対戦相手の監督から救いの手が延びてきたそうです。「監督のひと言は重い」と実感を込めて語る青年監督は、理想を追い求めて奮闘中。監督リレートークの22人目は史上最年少、35歳が熱く語ってくれました。次代を担うのは、きっとこういう柔軟な情熱家たちです。
(取材・構成=大久保克哉)
さかまき・ゆうき●1989年、栃木県生まれ。栃木市の千塚学童野球部で3年生から野球を始めて主に投手。栃木市立吹上中では名将・板倉茂樹監督の薫陶を受けて三番・投手で活躍し、国学院栃木高へ。1年春からメンバーに入り、夏に二塁手で県準V。3年春は三塁手で県大会を制し、関東大会出場。高校最後の夏は県4強止まりも、県大会MVPと首位打者に輝いた。卒業後は地元の大手機械メーカーに就職し、社会人軟式で全国大会に出場。5年生の長男が1年生だった2021年に親子で羽川学童野球に入り、1年間の父親コーチを経て2022年春から監督に。当時は選手7人だったチームが現在は30人規模となり、3年生の長女も在籍中。今春はGasOneカップ県大会出場を果たしている
[栃木・羽川学童野球部]
酒巻祐樹
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小森正幸
こもり・まさゆき●1982年、栃木県小山市生まれ。間々田東小1年から、間々田一丁目学童で野球を始め、6年夏に北関東大会優勝で引退。間々田中では名将・板倉茂樹監督の下、投手兼中堅手の一番打者で県制覇、関東3位で全中に出場して8強入り。宇都宮南高では、一番・中堅で県8強が最高。白鷗大では50m走5秒8の俊足を生かして外野手一本に。新人戦で盗塁王に輝くなど、4年まで関甲新リーグでプレーした。2012年、長男が入部した間東キッズで父親コーチとなり、2018年から監督に。長男と卒団後、2022年に長女の入部と同時に父親コーチとして戻り、翌23年に監督へ復帰した。6年生の次男も在籍する現チームは、昨秋の新人戦に続いて今春も小山市大会で優勝し、県大会に出場している
駆け出し時代の鮮烈な記憶
あらためて振り返ると、3年前が遠い昔にも思えてくる。それほど、羽川学童野球部は劇的に変わりましたし、濃密な日々だったなと実感せずにはいられません。
3年前の春、私が監督になって初めての練習試合は、いろんな意味で強烈な記憶です。当時は登録メンバーが7人しかおらず、選手の弟や妹たちにも参加してもらって、どうにか試合を実現。ところが、やってみたら0対50という、とんでもないスコアで大惨敗。最終的に3つ目のアウトをどうしても取れなくて、私が相手ベンチに出向いて帽子を取って、こうお願いしました。
「すみません、このバッターで終わりにしていただけませんか?」
子どもたちを思えば、もっと早くにそうするべきでしたが、自分は高校までそこそこやってきた!という、いらぬプライドが邪魔をしていました。そのときの相手チームが、このリレートークにも登場された、堀野(誠)監督が率いる横川中央学童野球部(※第19回➡こちら)。身のほど知らずのマッチメークで、全国区のチームにとんだご迷惑をおかけしてしまいました…。
活動は週末の9:30~16:00と、水・金曜の17:00~19:00。リフレッシュのために、月イチで土日いずれかを休みに。大人の野球でも十分な広さのグラウンドはほぼ占有で、照明設備もある
駆け出しの監督のころにもう1試合、衝撃的な体験をしました。地元・小山市のJBCCという伝統の大会で、決勝トーナメント進出を争う予選リーグでのこと。大敗続きの私たち羽川学童との試合前に、相手チームの監督がこう声を掛けてくれたのです。
「4点ゲーム(4得点で攻守交代)やろうか! ダラダラと得点しても、子どもたちの未来をつぶすだけだから」
そういう言い方でしたが、明らかにウチの子どもたちを守るための提案でした。その深慮に私は痛く感激し、「ありがとうございます、それでお願いします!」と始まった試合ですが、4点ルールでもウチに勝てる要素はありませんでした。
プレハブ建ての専用部室もあり、潤沢な用具類が保管されている
そのときの相手チームが犬塚学童。そして監督は、私をこのコーナーに招いてくれた長嶋英孝さん。確か、あのときの大会は、長嶋さんのチームは得失点差で予選リーグ敗退。ウチとの試合で得点を稼げなかったことが響いたのは間違いない。でも、そういうこともまるで意に介さない懐の深さが、長嶋さんを慕う人が絶えない理由なのだと思います。
「子どものために!」と口にする指導者はどこにでもいますが、一方では同じ市内や地域のチームと距離を置いたり、手の内を隠したりする。結局、自分が負けたくないのが一番なんですよね、きっと。でも長嶋さんには、そういう裏腹や矛盾がまったくないんです。自分らの小山市で野球人口が増えて盛り上がってくれたらいいよね、と純粋に考えて行動もされている。
実際、ウチのチームとは近隣同士ですけど、組織の運営面でも成功されている長嶋さんは、体験や教訓のすべてをさらけ出して私に教えてくれるんです。選手を集める方法から、保護者や地域との付き合い方の極意まで、聞けばどんなことでも。
親も楽しむ理由と手はず
長嶋さんは選手が7人に激減したところから監督として出発。私も同様でした。母体の羽川小は1学年3、4クラスあるのに、選手は7人のみ。存続の危機にあるなかで、保護者のみなさんからの依頼を受けて監督に。私は引き受ける代わりに、『3つの方針(以下)』を掲げて、保護者の方々にご協力をお願いしました。
❶楽しく厳しいチーム
❷保護者同士でグチを言わない
❸指導陣の指導育成への異議はNGだが、個別の相談はOK
子どもだけではなく、保護者も楽しいチームをつくりたい、というのが方針の根底にあります。学童チームは、大人のボランティアで成り立っているので、それぞれ認め合いながらみんなで楽しみましょう! モチベートしていきましょう! と。この方向性とスタンスは今も不変です。
行動の始まりは「メンバー募集」のチラシ作りでした。それを早朝や夜間に地域へどんどんポスティング。長島さんにはそのころから、事あるごとに相談したり、経験談やアドバイスをうかがうように。
野球をするだけではなく、みんなでバーベキューをしたり、東京ドームでプロ野球を観戦したり、運動会を開いたり。大人も楽しめることを常に頭に置いて、週末の遠征では試合の後にみんなで食事や買い物に行ったり。強制するようなルールもないのですが、保護者の参加率がとても高いというのが今のチームのひとつの自慢です。
そうするうちに、選手も増えてきてコールド負けが減り、勝てるようにもなってきた。すると、もっと勝たせてあげたい!という気持ちが強くなる。これは指導者の性なのかもしれませんし、単なる私個人の悪癖なのかもしれません。
ついつい、熱くなって子どもに言い過ぎている――そんな己に自分で気付くこともありますし、長嶋さんの言動が私を初心に立ち返らせてくれることもしばしば。前回の長嶋さんの記事もそうでした。読ませていただきながら、日ごろの自分を顧みて「伝え方の拙さ・粗さ」を反省せずにはいられませんでした。
指揮官の良き理解者で、野球でも手腕を発揮する生澤俊ヘッドコーチ(下)。もともとは公園でわが子と野球を楽しんでいたところを酒巻監督にスカウトされた
ストレスも若干は…
長嶋さんからは記事を通じて「子どもたちをストレスフリーに!」という、お言葉もいただきました。基本的に大賛成で、私も実践しています。ただ、子どもに多少のストレスは必要かな、というのが私の持論でもあります。
学童は通過点。中・高・大と野球を続けるなら、まだまだそこには理不尽な世界も残っていたりします。社会に出れば、結果が出ずに悩んだり、一方的な評価や思わぬ叱責や中傷を浴びることもあるでしょう。
中学時代に名将の薫陶を受けた酒巻監督は、練習メニューの引き出しも豊富。打撃ドリルではバドミントンの羽根やプラスチック製のパイプ管など、目的に沿って道具を活用
そういうなかでも生き抜いていける人間になるには、小学生のうちに時には重圧を感じたり、思うようにいかずに苦しんだり悩んだりしながら、対応術や柔軟性を養っていくことも有効ではないかな、と考えています。
そのために、周囲の大人たちが果たす役目は大きい。特に監督のひと言は重い――これは私の現役時代に起因しています。
高3春の関東大会2回戦でした。私はスクイズのサインを見落とし、そのミスを引きずったまま、三塁の守備で連続エラーをして決勝点を献上。翌日の地元紙の記事は今も実家の部屋に貼ってありますが、『国栃(国学院栃木高)、失策に泣く!』との見出し。100人規模の野球部で、私はAチームからCチームへ降格し、Aチームに戻れたのは最後の夏の大会の2週間前でした。
胸にパイプ管を抱えて打つドリルは、腕だけではなく体(腰)の回転も利して打つことの体得が主な狙い
一方で私は高2の夏から1年間、毎日約4時間かけて2500本の素振りを続けました。関東大会でのしくじりと降格があっても、これだけは欠かしませんでした。そして最後にAチームに呼び戻してくれた監督からこのように言われました。
「関東大会で確かにオマエはミスをした。でも、オレはあのときだけではなくて、トータル的にオマエを評価しているんだ」
それでどんなに自信をいただいたことか。甲子園には行けませんでしたが、県大会ベスト4。私は首位打者になって大会MVPをいただくこともできたのです。監督にとっては何気ないひと言でも、選手には良くも悪くも大きく響くことがある。これが教訓であり、今でも選手に何かを伝えたいときに、まず思い起こすこともある原点です。
10カ所近くで同時進行する打撃練習と各種ドリルは、球が尽きた頃合いで一斉に選手たちで集める。後片付けも大人が指図することはない
戦い方と教え方の妙
学童野球のチーム運営や組織内のマネジメントなどを学ばせていただいているのは、間違いなく長嶋さん。試合の進め方や戦い方、野球の教え方の面で、大いなる刺激ときっかけを与えてくれた監督が、やはり同じ小山市内にいます。
間東キッズの小森正幸監督です。学年層や頭数に応じた野球を展開する。1点を取るためのストーリーを、全選手と指導陣でしっかりと共有している。そういうチームを見事に作り上げられている監督です。
初対戦は2年前の新人戦(市内大会)でした。小森さんのチームには最上級生が3人しかいませんでしたが、ウチは徹底的にバントで崩され、足でかき回されて負けました。これ以降も、低学年の練習試合も含めて何度となく手合わせをしていただいてますが、そのたびに用兵や戦術の面で感心したり、気付かされることがあります。
あるときには、直接に質問しました。「どうしたら、あんなにバントがうまくなるんですか?」と。すると、小森さんは「コレという練習はないけど、子どもは何かのきっかけで急に上手くなるものだから、いろいろやらせてみたほうがいいね」と。
例えばバント練習でも、まずは片足立ちでバント、片手でバントなど、困難なことから始める。そうして難しい体験をした子どもたちは、お手本のバントの形(体勢やバットの位置・角度など)が、いかにやりやすいかを体感・理解しやすい。
要するに、最初から「正」を詰め込む指導ではなく、あえて「負」のほうを先に体験させることで「正」が身につきやすくなる。この実践法と効果は、バント練習に限りません。私のほうでどんどん応用をさせていただいています。
憧れるのをやめて…
小森さんはまた、ペップトークの長嶋さんとは違った意味やアプローチで、言葉を大切にされているようです。
例えば、間東キッズの選手たちは、1年間の目標を各自で書いた紙を額に入れて持っており、活動中のグラウンドでは常にそれを掲げている。ウチと練習試合をするときにも、ベンチの裏のフェンスに小さな額が並んでいました。
眺めてみると、どの内容(個人目標)も字のスタイルや大小も個性的で子どもらしい。とても好感を抱けるものです。子どもは忘れっぽいものですが、自分で決めたことを言葉にして書いて保持すれば、常に念頭に置いておくことができる。そんな狙いもあるのかもしれません。
見守る母親たちも明るい(上)。グラウンドで練習をサポートする父親の数と、生き生きした表情も印象的
人生においても先輩で、憧れの人。そんな小森さんへメッセージなんて、おこがましくて、必要以上に言葉を選んでしまいそう。なので、ここは大谷翔平選手(ドジャース)のやり方に倣って。
公式戦で対戦するときにだけは、憧れるのをやめて、いつかは倒せるようにがんばります!
実は大会で勝たせてもらったことが、まだ一度もないんです。
3月の市の春季大会も準決勝で2対5の敗北。
その越えられない壁を越えたときには? …また反省してるかもしれません。子どもへの伝え方というのは難しいもので、長嶋さんという憧れも私の中にいますので。